慈悲心から生まれる厳しさ
Rev. Nikkyo Niwano
Founder, Rissho Kosei-kai

厳しい言葉も素直に聞ける
この厳しい訓戒が、大きな慈悲から発していることはいうまでもありませんが、私がとりわけ感嘆をおぼえるのは、「水」というものを用いて戒められた深いお智慧です。「水」は本来、清らかなものです。お釈迦さまは、すべての人間が本来もっている「仏性」をその「水」にたとえて、「そなたは、もともと水のような清らかな本質をもっているのだよ」ということを教えられたのでしょう。
羅睺羅は素直な人間でしたから、そのお心をそのまま受けとることができ、そして立ち直ることができたのです。
ここに、お釈迦さまの指導力の秘密があるように思います。私が知るかぎりにおいて、どの経典を読んでも、お釈迦さまが「おまえはだめな人間だ」などと、相手の本質を否定するようなことをおっしゃることは、けっしてありません。戒めるときも、相手の心のもち方の誤りや行ないの過ちそのものを指摘されるのです。相手はそれが事実であることを自分でも知っているわけですから、素直に聞くことができるのです。素直に聞けば、厳しさが厳しさでなくなるのです。それが、仏さまの厳しさなのです。
職場においても、法座においても、ちょっと厳しいことをいう人は敬遠されがちです。しかし、相手の本質を認め、美点や長所を認めたうえでの厳しさなら、必ず理解されるはずです。
副会長だった長沼妙佼先生(脇祖)は、「この人を本物にしなくちゃならない」と思うと、箸の上げ下ろしにまで注文をつけました。ご法の行じ方はもちろんのこと、日ごろの生活での一挙手一投足を見ていて、こと細かに教えてくれました。
そのお陰で、幹部さんたちが姿勢をきちんと整えることができたのですが、妙佼先生のすばらしいところは、その厳しいお言葉の一つ一つが大きな慈悲心に発しているのがひしひしと伝わってくるところでした。親身になって、一人ひとりにこまやかな心くばりをされるのです。人は、相手がほんとうに自分を思ってくれているのを感じるときは、その叱責や忠告を前向きに受けとれるのです。
私の知人が、こんなことを話してくれました。少年時代に何かよくないことをして、叔父さんにきつく叱られたのです。そのとき、「頭のいいおまえが、どうしてそんなことをしたんだ」といわれたそうです。その「頭のいいおまえが」のひとことがズンと胸に響いて、叱られて恨むどころか、その叔父さんが大好きになり、八十歳を過ぎた現在までその言葉が心の支えになっているということでした。
それにしても、私たちが生活している現実の世の中は、お釈迦さまが「一切皆苦」と説かれたように、「苦」に満ちた厳しい世界です。その厳しい世界を生き抜いていくには、やはり小さいときから鍛えられて育つことが大事なのです。
そういう意味でも、人を育てるには、根本に一〇〇パーセントの愛情が必要ですが、時には厳しい言葉を添えて表現することも大切でしょう。
一方、私たちが現実の生活でいろいろな苦難に出会ったときでも、その奥に仏さまの大慈大悲が働いていることを忘れてはなりません。そして、その厳しさを素直に受けとめると、そこに幸せへの道が開けているのに気づくことができるのです。
庭野日敬平成法話集1『菩提の萌を発さしむ』p. 108–110