化城宝処の譬え

妙法蓮華経 化城諭品第七

人里離れたあるところに、長くて険しい道がありました。たくさんの人が、貴重な宝を求めてこの道を歩んでいます。その一行の中に、一人の指導者がいました。その人は、知識が豊富で智慧にすぐれ、この道の先がどうなっているのかよく知っている人でした。

長い道のりを旅してきた人々は、途中でくたびれてしまい、指導者に言いました。「私たちは疲れてこれ以上前に進めません。来た道を引き返そうと思います。」指導者はかわいそうに思い、道のりの半ばより少し向こうに、方便の力を使って、まぼろしの大きな都城を現しました。

一同は、喜んでそこまで歩き、城の中で休息しました。しばらくして、皆の疲れがすっかり癒えたのを見た指導者は言いました。「さあ、行きましょう。宝のある場所はもうすぐそこです。この城は、皆さんが一休みするために仮に作った城なのです。」元気になった一同は、再び宝に向かって歩きだしました。

解説

「長くて険しい道」とは、苦しみの多い人生を表しています。私たち衆生は、人生の本当の幸福という、「貴重な宝(仏の智慧)」を目指して旅をしています。私たちを導いてくれる指導者とは、仏さまのことです。

思い通りにならない人生を歩む私たちは、幸せを求めて修行しながらも、途中でくたびれてしまいます。人生の苦しみは次々に起こり、絶えることはないからです。修行することに飽きたり、勇気を失ったり、あと戻りしたい気持ちが湧いてきます。

そこで、仏さまは、道のりの半ばより少し先に、まぼろしの都城を現しました。まぼろしの都城とは、二乗(声聞・縁覚)方便であって、私たちの現実の苦しみを取り除くための手段です。私たちの目指している本当の幸せ(宝)とは、実は仏の智慧なのですが、多くの人はそのことに気づいていません。ただ、現実の苦しみから逃れることに必死で、漠然と「幸せになりたい」と願っています。そこで、仏さまはまず、私たちに「縁起の教え」を説きました。「目の前に起こっているものごとは、固定的ではなく、仮の現れにすぎない。縁によって生じているだけである。(つまり様々なものに執着している心を解放すれば、安らかな気持ちになれる)」という教えです。その教えを実践した人々は、まぼろしの城の中で休息したように、自由で安心の気持ちを得ることができました。

しかし、その心境にホッとしているところで、指導者はまぼろしの城を消してしまいます。そして、「もう少し先に、本当の幸せがあるのだよ。」と指し示します。私たち人間の本当の幸せとは、自分だけの安心の境地で休んでいることではなく、周りの人を幸せにする生き方をすることです。自分だけの幸せの境地を捨てて、世の中全体の幸せのために、自分の力を発揮していく菩薩行を積み重ね、仏の智慧を得ること(一乗真実)こそ、本当の幸せへの道です。生きがいのある人生です。

化城を出れば、また新しい苦労が始まります。しかし、それは今までの受け身の苦しみではありません。自らが進んで人さまのためにする努力は、喜びになります。私たちは、このお話のように、みんなと一緒に幸せへの道を歩んでいるのです。そして、仏さまも私たちのおそばで、いつも一緒に歩んでくださっています。

(中央学術研究所 監修)

※解説は、『法華経の新しい解釈』と『新釈法華三部経』(庭野日敬著)を参考にしています。