衣裏繋珠の譬え
妙法蓮華経 五百弟子受記品第八
あるところに、貧しい暮らしをしていた人がおりました。ある日、彼は親しい友達の家を訪ねました。その家はとても裕福で、さまざまなご馳走でもてなしてくれました。彼はたらふく食べて、お酒に酔って、友達の家ですっかり眠りこんでしまいました。

ところが、その友達は公用があって外出することになりました。友達は、貧しい暮らしをしている彼のためを思い、値がつけられないほど高価な宝の珠を彼の衣服の裏に縫い付けて出かけました。しかし彼はぐっすりと眠っていたため、そのことに気づきませんでした。

目が覚めた彼は友達の家を立ち去り、他国に行って衣食を得るために苦労して働き、少しの収入があればそれで満足していました。ある日、彼は友達とばったりと再会しました。友達は、彼の相変わらず貧しい暮らしぶりを見て驚き、縫い付けておいた宝の珠のことを彼に話し、取り出して見せてあげました。彼は大喜びし、宝の珠のおかげで、それからは何不自由なく暮らせるようになりました。

解説
「貧しい暮らしをしていた人」は私たち、「親しい友達」は仏さまを表しています。そして、「値がつけられないほど高価な宝の珠」とは、一乗の教えを表しています。仏さまは、現実に苦しむ人々を救おうと、様々な教えを説かれましたが、そのすべての教えは、あらゆる人を仏の境地に導くための教えだったのです。私たちはそれぞれ、様々な違いがあり、別々の道を歩んでいるように見えますが、実は、一人ひとりが同じく仏のいのちを具えており、大きなひとつのいのちとして生かされています。そのことを一乗といいます。
私たちが知らぬ間に宝の珠を持っていたということは、つまり、私たちは気づかないうちに仏になる道を歩んでいたということです。
私たちは永久に変わらない確固たる存在ではなく、縁によって変化しているのですが、目に見えている自分の姿だけを本当の自分だと信じて、欲望に振り回されながら、苦に満ちた生活を送っています。まるでこのお話の貧しい人のように、ある時はおいしい食事とお酒に満足しても、条件が変われば、またすぐにもとの暮らしに戻ってしまい、いつまでも満たされることはありません。
そこで、仏さまは、縁起の教えをお説きになり、私たちが我欲に振り回されず、心安らかでいられるように導いてくださいます。その状態(二乗の涅槃の境地)は、このお話の、衣食のために働いて少しの収入で満足して暮らしている人のようなものです。
偶然に友人と再会した時、友人が彼に宝の珠の存在を教えたということは、仏さまが私たちに、「あなたも仏になれるのですよ」と授記されたことを表しています。
仏さまからいただいた宝の珠は、自分だけの安心の境地ではありません。それは、計り知れないほど価値のある宝、すなわち、一乗の教えです。その教えによって、私たちは、自分の歩んでいる道が、実は仏になる道につながっていたことに気づけたのです。仏になる道とは、周りの人を幸せにしたいと願い、そのために努力する道(菩薩道)です。その生き方が、仏さまのいのちをもって生まれてきた私たちの本来のすがたなのです。宝の珠の存在に気づくだけで、私たちは、今いる場所で、周りを照らすあたたかな灯りとなることでしょう。光り輝くいのちの宝珠は、すでに私たちのこころの中にあるのですから。
(中央学術研究所 監修)
※ 解説は 『法華経の新しい解釈』 と 『新釈法華三部経』(庭野日敬著)を参考にしています。