三草二木の譬え

妙法蓮華経 薬草諭品第五

とても暑い日のことです。強い日差しで、地面はからからに乾いていました。そこへ、大きな雲が、空いっぱいに広がって、世界中どの場所にも同じように雨が降りだしました。この世界には、さまざまな種類の草木があり、そのすべてに、雨は平等に降り注ぎ、世界中を潤しました。

そこには、大中小の生い茂る木々や薬草などがありました。それぞれの根・茎・枝・葉・花・実などは、等しく恵みの雨を受けて鮮やかに輝いてきました。同じ雲から同じ雨を受けても、草木の種類によって、その受けとり方は様々に違います。たくさんの雨を受ける大きな木もあれば、ほんの少しの雨で十分な草もあります。そして、それぞれが、その性質に応じて生長し、花を咲かせ、実を結びます。

大きな木には、大きな木の役目があり、小さな木には、小さな木の役目があります。小さな木が、大きな木に劣っているのではなく、それぞれが自分の性質に応じて、精一杯に生きています。皆が自分の役割を果たしていくことで、世界全体が生きているのです。

解説

強い日差しを受けて、からからに乾いた世界は、私たちが苦しみや悩みの中で生きていることを表しています。そこに広がる雲は仏さまであり、恵みの雨は仏さまの教えです。私たちは、草木が雨を待ち望むように、心の渇きを潤すものを求めています。大きな雲である仏さまは、私たちの世界をあまねく覆い、平等に教えの雨を降らせてくれています。人々の性格、能力、育った環境などには違いがあり、教えの受けとり方は異なりますが、私たちは皆、それぞれの機根に応じて、自分にふさわしい成長をすることができるのです。

「根」、「茎」、「枝」、「葉」とは、「信」、「戒」、「定」、「慧」にあたります。草木にとって一番大切な根は教えを信じる心、「信」のことです。「信」があるから、仏さまの教えに帰依した者の戒め(「戒」)を守ることができます。「戒」を守ることで、真理に集中し動揺しない心である「定」の境地に至ります。「定」の境地に入ることで、最高の智慧である「慧」を得ることができます。ただし、根があっても、茎や枝葉がなければ、いつかは根も死んでしまいます。信仰とは、「信」から起こり、「戒」、「定」を経て「慧」に達するものですが、この四つは、どれも必要不可欠なのです。

草木の大きさに違いがあるということは、私たちの性格や能力に違いがあることを表しています。しかし、そうした違いがあっても、それぞれが自分のもっている力を精一杯に発揮すれば、すべてが尊い存在なのです。自分より大きな木を見て、卑屈に感じる必要はありません。私たちは同じ地面から生えた草木のようなもので、ひとつのいのちを生きています。仏さまの大慈悲によって生かされているのです。そういう意味では私たちは表面的に違いがありながらも、皆平等であると言えます。

等しく仏さまのいのちを頂いている私たちが、それぞれ違う姿形で生まれ、違った能力があることに意味があるのです。自分がこの世において、どんな役割を持っているのかを知ることが大切です。この役割を精一杯に果たしていくことが菩薩道(花)であり、その道を歩んでいけば、必ずみな仏の境地に達する(実)ことができるのです。

(中央学術研究所 監修)

※解説は、『法華経の新しい解釈』と『新釈法華三部経』(庭野日敬著)を参考にしています。